D1GP 20年の歩み

D1グランプリがスタートして20周年という節目を迎えた2020年シリーズ。新型コロナウイルスの感染拡大によってさまざまな苦境に立たされながらも、なんとか最終戦を迎えようとしています。
これもひとえに、日頃から応援していただいているD1ファンのみなさま、いつもカッコいいドリフトと熱い戦いを見せてくれる参加選手&チーム、D1開催を支えていただいているスポンサーさまをはじめとするすべての関係者のみなさんのおかげです!!

そこで、記念すべき最終戦を前に、これまでの20年を振り返ってみましょう!

峠の腕自慢の大会

全国のドリフト腕自慢が集められ、D1GPの第1回大会(全日本プロドリフト選手権)が行われたのは、2000年の秋。翌2001年に第2戦以降が行われ、賞金が出る『プロ』の名を冠した世界初のドリフトシリーズ戦となった。

初代シリーズチャンピオンは谷口信輝。その後のチャンピオンは、植尾勝浩、今村陽一、三木竜二、風間靖幸、熊久保信重と、2006年頃まではD1GP開幕以前から活躍する峠出身のドリフターが多かった時代だ。いまとなっては“レジェンド”のドライバーばかりである。

当初はストリートカーで参戦していたドライバーも多かったが、2002年からはパーツメーカーのメーカーワークスチームが次々と参戦し、D1GPマシンも競技専用車両として先鋭化していった。

第1回大会は、全員がマイカーで参戦。とうぜんほとんどがストリートカーだった。
2006年には、熊久保がインプレッサをFR駆動に改造したマシンでタイトルを獲った。

D1で台頭してきた選手たち

そして2007年は川畑真人、2008年は齋藤太吾がチャンピオンを獲得した。ふたりとも参戦当初は無名だったが、D1GPで戦う中で頭角をあらわし、現在までトップ選手として君臨するドライバーとなった。“D1GP育ち”のドライバーの時代になったのだ。

この時期、今村陽一の3連覇などもあったが、2016年頃まで、今村、齋藤、川畑を中心とした時代が続いた。この間、D1GPは国産タイヤメーカーの争いが熾烈になり、グリップ力もどんどん上がり、エンジンパワーが要求される時代となった。エンジンは2JZ換装が主流になっていった。

2012年には86が登場。車両によってV8、EJ25、2JZなどさまざまなエンジンが使われた。
2014年にはトラストがGT-Rで参戦。圧倒的なパワーで翌年にチャンピオンを獲った。

モータースポーツの一大カテゴリーへ

2017年以降に台頭してきたのが、D1GPの下部カテゴリーであるD1ストリートリーガル(D1SL)出身のドライバーたちだ。藤野秀之、横井昌志はいずれもD1SLで経験を積んだドライバーで、今季ランキング首位を独走している小橋正典も10代の頃からD1SLに参戦していた選手だ。

また2003年に初めてアメリカでエキシビションマッチを行ったD1GPは、それを皮切りに世界中へ伝播し、各国でドリフト競技のシリーズ戦が行われるようになった。

かつては若者の夜遊びだったドリフト文化は、この20年間のD1GPの牽引によって、国内でモータースポーツのいちジャンルとして確立されただけでなく、世界的に親しまれる競技に成長したのだ。

2004年から2006年までアメリカで公式戦を行い、海外でのドリフト人気に火をつけた。
2019年にはGRスープラが2台参戦し、最新の車両のポテンシャルを証明した。

今月末の1/30(土)-31(日)に筑波サーキットで開催される最終戦で、記念すべき20周年のシリーズチャンピオンとして歴史に名前を刻むのは誰か!?

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