【D1 GRAND PRIX 25周年特別寄稿】熊久保信重

編集部への特別メッセージ

D1 GRAND PRIX 25周年、誠におめでとうございます!エビスサーキット支配人として始まった私のドリフト人生において、D1 GRAND PRIXという世界最高峰の舞台で仲間たちと凌ぎを削り、シリーズチャンピオンを獲得できたことは生涯の誇りです。

熱量を持ってドリフトを世界に輸出したビデオオプション編集部、走り続けるドライバー、支えてくれるスポンサーやスタッフ、そして熱狂的な世界のファンの皆様に当時のお礼も込めて、心から感謝いたします。ドリフト文化の聖地を守り、これからも次世代へとこの感動をつないでいきます

イカ天とエビスサーキット、伝説の原点

熊久保信重とD1 GRAND PRIX(そしてビデオオプション編集部)との絆

D1誕生以前の『いかす走り屋天国(イカ天)』時代にまで遡る。東北サファリパークやエビスサーキットを創設した父・カーボーイハット熊久保勅夫(トキオ)さんと、VOPT編集部との深い信頼関係を背景に、若き日の熊久保信重はエビスサーキットの支配人として、また、一人の熱烈なドリフターとしてメディアやファンを迎えていた。熊久保勅夫さんの、「コースが無ければ作ればいい」の精神で生み出されたエビスの各コースは、やがて世界中のドリフターが憧れる聖地となっていく。

D1 GRAND PRIX初期メンバーとしての船出

2000年に全日本プロドリフト選手権としてスタートし、2001年から正式に「D1 GRAND PRIX」となったパイオニア期。熊久保はその初年度からS15シルビアなどを駆り主要メンバーとして参戦を果たした。自らサーキットを管理し、マシンを組み上げ、誰よりも鍛錬を重ねるスタイルで、初期D1 GRAND PRIXの熱気と競技カルチャーを牽引する中心人物となっていった。

全米を震撼させたアメリカ西海岸攻めとアーウィンデールでの衝撃

2000年代前半、D1 GRAND PRIX事務局(VOPT編集部)とチームオレンジは、まだ「ドリフト競技」という概念すら存在しなかった本場アメリカへJDM文化を直接持ち込んだ。

2000年から2001年にかけて、カリフォルニア州アーウィンデール・スピードウェイへ遠征。チームオレンジの熊久保信重(S15シルビア / S13シルビア トラック / 450馬力超SR20)、風間靖幸(S15)、植尾勝浩(AE86)、上野高広(JZZ30ソアラ)ら当時の日本代表選手たちが乗り込んだのは、本場NASCAR(ウィンストン・ウエストカップ)が開催される高速オーバルコースだった。

当初、現地の白人NASCARレーサーたちは「こんな小さなファミリーコンパクトカーでドリフト?100マイルも出せるのか?」と半信半疑で鼻で笑っていた。しかし、NASCARレーサーや観客の目の前で、彼らはオーバルコース全周を超高速・大角度の「イカ天譲りの団体ドリフト」で駆け抜けてみせた。つまり煙モクモク。その圧巻のパフォーマンスは即座に現地ニュースとなり、全米のモータースポーツファンを震撼させた。

この快挙を機に、D1 GRAND PRIXは日米を行き来する「D1サーカス」として米ツアーを展開。その後、西海岸、東海岸、ラスベガスにて、チームオレンジと共にD1 GRAND PRIXサーカスを成功させる。チームオレンジとVOPT編集部は、まさに世界へドリフトを広めた最高のマイク・メイツ(仲間たち)であった。

熊久保信重 D1 GRAND PRIX戦歴と世界的人気ドライバーへの躍進

日米を行き来する過密日程の中、熊久保はマシンを進化させながらD1 GRAND PRIX本戦でもトップドライバーとして君臨し続けた。

2001年〜2005年(S15シルビア期):D1 GRAND PRIX黎明期よりS15シルビアで参戦。初代王者・谷口信輝らと激戦を繰り広げ、常に上位争いに加わり追走の「チームオレンジ」の礎を築く。

2006年(インプレッサ GDB):前代未聞のFR化された「チームオレンジ インプレッサ(GDB)」を投入。圧倒的な走りと劇的な逆転劇で、自身初となるD1 GRAND PRIX シリーズチャンピオンを獲得。

2007年(インプレッサ GDB / ランサーエボリューションIX):ランサーエボリューションIX(エボ9)を投入し、D1 GRAND PRIXオールスター戦などで勝利を達成。世界的な知名度を確立。

2008年〜2011年(ランサーエボリューションX期):エボ9に続き、CZ4AランサーエボリューションX(エボ10)をFR化するという常識破りのマシンメイクで参戦。エビス大会での勝利など常にトップランカーとして君臨。

2012年(ローレル C33):C33ローレルを巧みに操り、シーズンを通して安定した強さを発揮。自身2度目となるD1 GRAND PRIX シリーズチャンピオンに輝く。

常識破りのマシンメイキングと、超至近距離で合わせ込む「ツインドリ・追走」の技術は、熊久保信重の名を世界中に轟かせた。

シルバーストーンでの熱狂とジェームス・ディーンとの出会い

熊久保とVOPT編集部の挑戦はアメリカにとどまらず、ヨーロッパへも波及した。モータースポーツの発祥地であるイギリス・シルバーストーン・サーキットへ攻め込み、開催された「D1 GRAND PRIX イギリス大会」に熊久保信重は参戦。チームオレンジの豪快な走りは、保守的だったイギリスのモータースポーツファンを熱狂の渦に巻き込んだ。

この時、パドックで熊久保に目を輝かせて声をかけた一人の少年がいた。後にFormula DRIFTやドリフトマスターズなど世界各国のトップカテゴリーで数々のタイトルを獲得し、現在世界最強、最高のドライバーと評される「ジェームス・ディーン」である。少年だったジェームス・ディーンは熊久保との交流に深い衝撃を受け、今なお熊久保信重を最大のヒーローとしてリスペクトし続けている。

イカ天、D1 GRAND PRIX創設メンバー、エビスサーキット、アメリカ攻め、ヨーロッパ制覇熊久保信重が切り拓いた走りの軌跡は、まさにD1 GRAND PRIX 25年の歴史そのものであり、今も世界中のドリフトカルチャーの中に生き続けている。アメリカ人ドリフトドライバーのリスペクト対象は、いまだにチームオレンジ熊久保信重がナンバー1である。D1 GRAND PRIXこそ、熊久保信重さんには、本当に感謝しかない、ありがとうございます。

【編集後記】

「コースが無ければ作ればいい、マシンが無ければ創ればいい」――まさにD1 GRAND PRIXのパイオニアとして、常に新しい価値と熱狂を提供し続けてくれた熊久保お父さん(勅夫氏)。

その息子信重選手は、ビデオオプションと共に世界に日本の国技ドリフトを輸出した。

熊久保信重は豪快な走りだけでなく、エビスサーキットという世界中のドリフターが集う聖地を守り育ててきた功績は、業界に計り知れない利益をもたらした。

D1 GRAND PRIX 25周年の歴史は、熊久保選手をはじめとする情熱あふれるレジェンドたちのおかげである。

【熊久保 信重 プロフィール】

名前:Nobushige kumakubo
熊久保 信重
出身地:福島県
誕生日:1970年2月10日
役職・所属:東北サファリパーク
エビスサーキット代表取締役
チームオレンジ(TEAM ORANGE)代表
愛車:S15シルビア
GDBインプレッサ
ランサーエボリューションIX
CZ4AランサーエボリューションX
C33ローレル 他
主な実績:2006年 D1 GRAND PRIX シリーズチャンピオン(インプレッサ GDB)
2007年 D1 GRAND PRIX オールスター戦 優勝(ランサーエボリューションIX)
2012年 D1 GRAND PRIX シリーズチャンピオン(ローレル C33)
エビスサーキット「支配人」として世界的なJDM・ドリフト聖地化を推進
映画『ワイルド・スピード X3 TOKYO DRIFT』カースタント・技術協力

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