【D1 GRAND PRIX 25周年特別寄稿】ラジコン出身ドライバーが時代を塗り替える!田野 結希の覚悟と挑戦

田野結希<br>No.80<br><br>Team TOYOTIRES DRIFT 2

田野結希
No.80

Team TOYOTIRES DRIFT 2

「こんにちは、田野結希です。D1 GRAND PRIX 25周年、本当におめでとうございます。蕎麦切広大くんの次に、こうして注目ドライバーとして取り上げていただき、ありがとうございます。

僕は広大くん、亮くん(石井亮選手)と共に、いわばラジコン世代のD1ドライバーです。近年台頭しているシミュレーター(SIM)世代の方々と少し違うのは、僕たちは小さな頃からドリフトラジコンを扱い、全国各地の大会を転戦して戦ってきたという点です。超高精度なマシンを俯瞰で操る経験を若くして徹底的に積み重ね、そこから実車へとステップアップしました。だからこそ、広大くんも亮くんも僕も、どこか根拠のわからない、得体の知れない絶対的な自信があるんです(笑)。

これからもラジコン出身のD1GPドライバーとして、実車の世界でも頂点を目指し、世界制覇を叶う目標とし、全力で頑張ります。皆様、熱い応援をよろしくお願いいたします。そして、昔からのラジコン仲間たち、いつも応援ありがとう!」

田野選手のラジドリマシン

広大選手、亮選手と同じく、一時代を築いく伝説のラジコン世代

いか天(いかす走り屋チーム天国)から始まり、全日本プロドリフト選手権、そして世界最高峰のD1 GRAND PRIXへと進化を続けてきたドリフト競技。その25年におよぶ歴史の中で、現代(2026年)のドリフトシーンを語る上で絶対に欠かせない存在となっているのが「ラジコン出身ドライバー」の台頭。

現在TEAM TOYO TIRES DRIFT 2(D-MAX社員)に所属する田野 結希(タノ ユウキ)選手(28歳)もまた、かつてラジコン界でその名を轟かせた伝説の大会「proRC」の出身者(当時、カザマオートが主催していた全日本ドリフトラジコン大会)神童として名を馳せていたドライバーです。

当時のラジコン界で常に首位を争い、表彰台を独占していた三人衆こそが、現在のD1GPでトップランカーへと成長した蕎麦切 広大選手(SHIBATA RACING TEAM)、石井 亮選手(Team BuzzBreak)、そして田野 結希選手でした。

 少年時代から全く同じフィールドで競い合ってきた三人が、そのまま実車のD1GPという最高峰のステージに揃い立ち、超高速・超至近距離の追走バトルを繰り広げている姿は、当時を知るD1GP事務局やビデオオプション編集部(D1編集部)にとって、感慨深さで胸が熱くなる光景です。ロートルな編集部員たちがいまだに「あの三人が成人してお酒を飲んでいる姿が想像できない」と目を細めるほど、彼らは幼少期からドリフトの英才教育を共に受けてきた戦友なのです。

 現在もチームウエルドやシバタイヤレーシングは、ラジコンの世界でもトップカテゴリーの全国大会を展開し、次世代のドライバー育成を続けています。ラジコンマシンで培った驚異的なコントロール能力と空間認識力を持つラジコン出身ドライバーたちが、実車ドリフトのトップカテゴリーを完全に独占する日は、もうすぐそこまで来ています。

カザマオート、シバタイヤ、チームウエルドは、先見の目あり。

ラジコン時代の蕎麦切選手、石井選手、柴田社長

業界が激震した「移籍劇」の真実、筋を通したゆうき

もともと田野選手は、世界トップクラスのシェアを持つ某自動車系企業で設計技術職として働いていました。
安定したエリートの道でしたが、どうしてもプロのドリフトドライバーとして生きていきたいという熱い衝動を抑えきれず、意を決してR31ハウス(現・シバタイヤレーシング)の門を叩きます。
柴田社長との出会いは、田野選手にとってD1GP参戦という夢の扉を開く大きなきっかけとなりました。

シバタイヤレーシングの一員として戦う日々。しかし、チームには不動のエースとして君臨し、凄まじい勢いでトップへと駆け上がる蕎麦切広大選手がいました。
田野選手は自身のレーシングドライバーとしてのキャリア、そして幼少期からの最大のライバルである蕎麦切選手と「本気でチャンピオンを争いたい」という純粋な渇望の間で、悩み、葛藤し続けます。

そして導き出した答えが、国内屈指の名門チーム「D-MAX RACING TEAM」への電撃移籍でした。

 通常のレーシングカテゴリーにおいて、同クラスのライバルチームへの移籍は、泥沼の愛憎劇や決裂を生むことが少なくありません。

しかし、田野選手は違いました。

これまで育ててくれた柴田社長に対し、一人の男として、ドライバーとして、真正面から悩みを打ち明け、筋を通すべく直訴したのです。
田野選手のどこまでも真っ直ぐな想いと誠実さに心を打たれた柴田社長は、その訴えを快く受け入れました。

そればかりか、なんと柴田社長自らが移籍先であるD-MAXの濱川社長のもとへ出向き、「田野をよろしく頼む」と、愛弟子の未来を託す男気のブロックサインを出したのです。

このあまりにも美しく、筋の通った移籍劇は、これまでのドリフト界にはなかったプロスポーツとしての素晴らしい前例となり、ドリフトモータースポーツの歴史に深く刻まれることとなりました。

濱川社長率いるD-MAX軍団

絶大な信頼を置くチームと共に、目指すはシリーズチャンピオン

初めて買ったチューニングカー 会社で、マシンをバラしている時

D-MAXへの移籍後、田野選手に用意されたマシンは最初はS15、次に新型のGR86。

このマシンの仕上がりは、錬磨のD1GP車検技術チームが「これは凄い、計算され尽くしている」と思わず唸り声を上げるほどの高い完成度を誇ります。
徹底的な軽量化と、理想的な前後重量バランスを追求してビルドアップされたGR86は、田野選手の超繊細なラジコン仕込みのコントロールに完璧にシンクロしています。

田野選手を支えるD-MAXのメカニッククルーは、D1GPパドックの中でもトップクラスの実力派集団。
「何があっても絶対に諦めず、必ず次のセッションにマシンを走らせようとしてくれる。それぞれの個性のバランスも最高です。あとは僕が勝てば最高なんですけどね」と、チームへの絶大な信頼を口にします。

現在の田野選手にとって、一番のライバルであり、同時に一番好きな選手(そして一番負けたくない嫌いな選手)として挙げるのが、やはり蕎麦切広大選手です。
ラジコン時代、シバタのワークスドライバーとして行動を共にし、その卓越した技術を間近で見てきたからこそ、「コウダイくんのラジコンの腕前は世界一だと思う。でも、実車ではそのうち絶対にやり返します」と静かに闘志を燃やします。

15歳からサーキットにて実車ドリフトをはじめた、ラジコン世代のD1GPトップドライバーゆうき

15歳の時、亡き父親に代わってAE86を貸してくれ、ドリフトのきっかけをくれた幼馴染の父親への感謝を胸に。6歳の頃から憧れ続けたD1 GRAND PRIXの舞台で、「想定よりも遥かに苦戦しているけれど、最高に楽しい」と語る田野結希選手。

目指すゴールは、ただ一つ。名門D-MAXと共に掴み取るシリーズチャンピオン。

ライバルであるコウダイ選手、石井亮選手、そして田野結希選手の三人が、表彰台の最上段を争い、ラジコン世代として揃ってシャンパンファイトを繰り広げる未来は、もう目の前まで迫っています。

現場のチーム集合写真

選手プロファイル&インタビュー

名前:Yuki Tano
田野 結希
ニックネーム:プリンス
出身地:神奈川県川崎市
誕生日:1998年3月24日(28才)
星座:おひつじ座
血液型:A型
ドリフト開始年齢:15才
D1GPデビュー:26才
職歴:設計会社 → FAT FIVE RACING → 柴田自動車 → D-MAX
日本の好きなところ:トイレがどこに行っても綺麗なところ、人々が親切なところ
好きな日本食メニュー:生姜焼き
理想とするドリフト:バネを使いこなし、ドアにタイヤ痕がつくくらいのビタビタな追走
始めたきっかけ:15歳の時にラジコンと実車を同時に始めました。ゆうきの父親は既に亡くなっているので、幼馴染のお父さんがAE86を貸してくれた。その幼馴染と2台でツインドリフトをして遊んでいた。ラジコンも実車も、すべてはその幼馴染のお父さんがきっかけを作ってくれた。
ラジコン時代の戦歴:proRC出場、その他主要大会での優勝多数
好きな日本のチューニングカー:D1車両、ドリ車全般
ビデオオプションの好きな企画:クローズアップD
尊敬する日本のチューナー:AION(アイオン)の春日井さん
D1GPへの想い:「想定よりも遥かに苦戦していますが、本当に楽しいです。目標はシリーズチャンピオン。コウダイくんに実車でやり返すために、このD-MAXの素晴らしい体制で必ず結果を出します。」

編集後記


ゆうきくんが先日お酒をたしなんでいる姿を見て(居酒屋にて)、編集部員は思わず「いつ成人したの?」と声をかけてしまいまた。失礼しました。
大人なゆうきくんをずっと編集部は応援していますね。
D-MAX濱川さんによろしく!
会場にお越しのみなさまも、ゆうき選手を是非とも応援してくださいね。

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