【D1 GRAND PRIX 25周年特別寄稿】目桑宏次郎

D1 LIGHTSからD1GP最高峰へ — 目桑が紡ぐ泥臭くも華麗なるサクセスストーリー

編集部への特別メッセージ

D1グランプリ25周年、心からお祝い申し上げます!幼い頃に映像で目撃し、ただただ憧れていたD1グランプリの世界。20歳で実車ドリフトの道に足を踏み入れて以来、自分にとってこの場所は常に最高の目標であり、自らの技術と度胸を試し続けるための聖地でした。四半世紀という長い年月をかけてこの素晴らしいモータースポーツの歴史を築き上げてこられた関係者の皆様、D1事務局、そしてどんな時も熱狂的な声援を送ってくださるファンの皆様に、心からの敬意と感謝を捧げます。

自分自身、D1 LIGHTSという過酷な下部カテゴリーからスタートし、自らの手で工具を握り、泥臭くマシンを組み上げながら一歩一歩階段を登ってきました。そしてD1グランプリ25周年という節目の大舞台で、トップコンテンダーとして第一線の戦いに身を置けていることを本当に誇りに思っています。

モータースポーツの歴史は、ドライバーとマシンの挑戦の軌跡そのものです。これからも観る者の心を激しく揺さぶる最高の走りを追い求め、次の25年へ向けた新たなD1の歴史を、ファンの皆様とともに創り上げていきたいと思います!

20歳、壊し続けた原風景と「カーショップリアリティ」誕生の軌跡

目桑宏次郎のモータースポーツ人生は、決して恵まれた環境からスタートしたわけではなかった。「幼い頃から、大人になったら絶対にドリフトをやる」そう心に決めていた目桑が、念願の実車を手に入れたのは20歳の時。最初に手に入れたAE70カローラは、ドリフトの感覚を掴む間もなく事故であっけなく全廃となった。

当時はまだ中古車も安く買えた時代。「壊しては直し、また壊しては別の車に乗り換える」という怒涛の日々が始まった。カローラの次に手に入れたセフィーロで本格的にドリフトの沼へと没入していく。20歳で自動車整備工場へ就職したものの、型にハマる仕事に嫌気がさし、わずか1年ほどで退職。その後数年間は、日中は倉庫でフォークリフトを操縦するアルバイトで資金を稼ぎ、すべての情熱と給料をドリフトへと注ぎ込む生活を送った。

やがて、ドリ車の製作や本格的なチューニングを手掛ける職人のもとで個人事業主として腕を磨き、中古車販売店での勤務を経て、27歳の時に自らの城である「カーショップリアリティ」を設立する。 「とにかく走りたい、自分の納得いくクルマを作りたい」——その一心で走り続けた若き日の泥臭い経験と、何でも自分の手で組み上げてきた叩き上げの技術こそが、のちにD1GPの猛者たちを脅かす「目桑宏次郎」という稀代のドライバーの絶対的な骨格となった。

車検場の睨み合いから始まった奇跡 —— “強烈”だったLIGHTS時代とナローの美学

D1地方戦から実績を積み重ね、2018年よりD1 LIGHTSへとフル参戦を果たした目桑。当時の彼の存在感は、周囲の誰もが一目置くほど強烈で、どこか近寄りがたい雰囲気。忘れもしない、LIGHTS時代のとある大会。ピットエリアに独特の緊張感が漂う車検場に、なんと片手に「うどん」を啜りながらフラリと現れたのが目桑だった。厳格な車検委員からの鋭い視線に対しても一切怯むことなく直視し、一瞬で現場はバチバチの空気に包まれる。お互いに「最悪の第一印象」を抱いたまま、その場の車検は終了した。

しかし、そこで終わらない。大会の帰り道、偶然立ち寄った高速道路のサービスエリアで両者はバッタリと鉢合わせる。気まずい空気の中、腹を括って一緒にご飯を食べることに。そして、状況は一変した。クルマに対する異常なまでの熱量と、嘘のつけない職人肌の男同士。言葉を交わすほどに意気投合し、気付けば最悪だったはずの印象は固い信頼関係へと変わっていた。そして、この車検委員をはじめとする周囲の大人たちを唸らせたのが、目桑が自ら創り上げたマシンの圧倒的な完成度だった。

当時のドリフト界は「フロントトレッドをワイド化し、切れ角を稼いで深い角度をつける」という、カブトムシみたいなフロントまわり、ワイド化セットアップがトレンドの主流となっていた。しかし、目桑はあえてその流儀に反逆し、「ナロー(狭いトレッド)」にこだわり抜いた。

「極端な話、ステアリング角がゼロだろうが、ドリフト状態で前走車にへばりつけりゃいいんですよ」マシンの重心を可能な限りセンターに集約させ、独学で足回りのジオメトリを突き詰める。最低限のステアリング操作でマシンを操り、機能に問題がなければキレ角は二の次。全てのセッティングを己の感覚と手作業で完璧にこなす目桑のスタイルは、理論と度胸が同居した究極のプライベートセットだった。

2019年、D1 LIGHTSシリーズ優勝。さらに翌2020年には単走・追走ともに圧倒的な強さを見せつけて年間4勝を挙げ、圧巻のシリーズ連覇を達成。目桑宏次郎の名は、全国のドリフト野郎たちが憧れるカリスマとして最高峰の舞台へと響き渡った。

SRエンジンでの孤軍奮闘、そして「D-MAXワークス」での覚醒

2021年、満を持して最高峰のD1グランプリシリーズへとフル参戦を開始。しかし、そこは巨大な資金力と巨大なチーム体制、そして1000馬力オーバーの怪物マシンがとどろく弱肉強食の世界だった。

「D1GPに出るとなれば、スタッフの確保や資金を含め、自分の仕事の範囲内だけで環境を作って参戦し続けるのは現実的ではない」

そう冷静に現状を見極めつつも、目桑はプライベーターとして牙を研ぎ続けた。軽量なSRエンジンにこだわり、夜遅くまで自ら工具を握りしめてミリ単位のセットアップを繰り返す。2025シーズンにはGマイスターBMWを駆り、前半戦で破竹の連勝を飾って「シリーズチャンピオン最右翼」とまで称された。やる気と技術があればD1GPのトップと対等に渡り合える——彼がコース上で証明したその事実は、全国のlightsプライベーターたちに希望と勇気を与えた。探り探り挑んだ2026シーズン、目桑のキャリアは最大の転換期を迎える。最高峰の名門チーム「D-MAX」のワークスドライバーへの抜擢である。

「自分が走ることでチームへ貢献することが一番大事。それが出来なければ、チームに属して走る資格はない」

強い覚悟を胸に挑んだ2026年。チームの本拠地と離れているためテスト頻度が限られ、マシンセットアップを自分好みに仕上げるまでに時間がかかる懸念もあった。しかし、D-MAXが長年蓄積してきた膨大なノウハウと、目桑が培ってきた経験とデータが見事に融合。開幕間もない筑波大会で、早くも見事な準優勝を勝ち取ってみせた。マシンメンテナンスや完璧な事前準備をチームが全面的に担うことで、目桑はドライバーとしての走りと、自身のショップ業務に100%集中できる環境を手に入れた。監督の濱川氏、チーフメカの村瀬氏をはじめとする最強のスタッフ陣、そしてスポッターとして横で支える妻・佑紀子さんとの信頼関係。名実ともに最強の体制を得た目桑は、覚醒の時を迎えている。

目桑宏次郎が追い求める「美しきライン」と、王座へのロードマップ

目桑が追い求めるドリフトは、単にスピードが出ているだけでも、ただ角度が深いだけでもない。彼が何よりも大切にしているのは「ラインの美しさ」だ。

「助走区間からドリフト区間まで、走るラインをかなり意識しています。いくら速くて振りが鋭くても、ラインが小さかったりV字に突き抜けて失速してしまうようなドリフトは好きじゃない。なるべく大きくスムーズで、無駄がなく無理が生じないライントレースをしながら、速さと角度を追求したいんです」

ラインを崩さずに車速を上げる。先行で綺麗なラインを通れば、後追いのマシンも思い切り飛び込むことができ、ギャラリーを魅了する最高の追走が生まれる。「先行で取られるのは当たり前、後追いで勝ちにいく」それが目桑の揺るぎない美学だ。現在、彼が超えるべき壁として見据えているのは、横井昌志や藤野秀之といったD1GPの絶対王者たち。「筑波で手応えは掴んだ。このまま重ねて超えていく」と語る瞳には、王座獲得への確かな闘志が宿る。

「若さ枠で勝負できないのは分かっているんで(笑)、とにかく走りの内容でファンをもっと増やしたい。目標はD1GPシリーズチャンピオンの一択です」仮に将来、ドライバーとして第一線を退く日が来たとしても、ショップオーナーとして最高の車を作り、次の世代を育てる情熱が絶えることはない。しかし今、目桑宏次郎の意識はただひとつ、D1グランプリの頂点だけに注がれている。叩き上げの技術と美学を武器に、メクワのサクセスストーリーは今、最高のクライマックスを迎えている。

【目桑 宏次郎 プロフィール】

名前:kojiro Mekuwa
目桑 宏次郎
ニックネーム:メクワ
出身地:神奈川県
誕生日:1989年7月30日(37歳)
血液型:O型
職歴:カーショップリアリティ代表
愛車遍歴:AE70カローラ、セフィーロ、シルビア(S15/180SX等)
チーム体制:チーフメカニック :村瀬ブルーノ
メカニック :今井義人 / 後藤裕哉 / 加藤諒 / 荻谷翔
スポッター:目桑佑紀子

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